なぜ自殺してはいけないのですか さがの教会 分析レポート
このサイトのデザインの良いところ
メニューバーがサイトの左側に並んでいるサイトデザインは初めて見たかもしれない。
サイトのボディが左に寄ってしまっているので、私なら中央に配置するだろう。
サイトの作りは古い印象を読者に与えるが、教会のサイトなので、それがいい意味で古典的な印象にもなっている。
見出しのバックグランドカラーはレンガ色に設定されており、それもまた古典的な印象を与える色であり、ヒーローヘッダー画像に映っている教会の建物と同じ色なので、統一感もある。

このサイトを読んで感じたこと
このサイトの問いの部分で「キリスト教では、自殺は罪だといわれます。なぜ自殺してはいけないのですか。」と述べられている。
聖書入門ドットコムの自殺について(2014/11/11)の記事でも、「人がいつどのようにして死ぬかを決めるのは、神です。」と書かれている。
キリスト教で自殺が罪だと考えられている根拠として、旧約聖書ヨブ記の言葉が挙げられる。
「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」
この「私は裸で母の胎から出て来た。」の意味は、
私の解釈ではあるが、
何も持たず産まれてきた。だから本当の意味での所有物は何もない。ということだ。
「主は与え、主は取られる。」の意味は、
自分の持ち物(命を含む)はすべて神様から与えてくださったものであり、それをいつ自分から取り上げるのかは神様に決定権がある。ということだろう。
なので、このヨブ記の聖書の言葉から、自殺はタブーであるという教義が広まったと考えられる。
このサイトの最後の章で、ローマ8章の言葉が紹介されており
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、
万事を益となるようにして下さる。
………もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか」と書かれている。
この「神は、神を愛する者たちー〜万事を益となるようにして下さる。」の意味は、私の解釈では、
「神様への信仰心を持ち続けた者は、人生で苦難や苦悩が起ころうとも、最終的には成長や益につながる。ということだろう。
よく教会で「神様のご計画通り」という言葉や「神様が導いてくださる」という伝道師の説教を耳にするのだが、おそらく上記で述べたような聖書の言葉を元にした発言だと思われる。
「神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか」という聖書の言葉の意味はおそらく、
世界の全てを敵に回したとしても、神様という最強の味方が自分を愛してくださっている。ということだ。
このサイトの序盤で語られている「私は独りぼっち、誰も分かってくれない。この苦しさ、不安と淋しさを」への答えでもあるだろう。
まとめとしては、
キリスト教など多くの宗教では、自殺は罪だという教えをしている教会が主である。
私個人的には、日本人は無宗教や無神論者がほとんどであることと、日本の若者の死因一位が自殺となっていることが、関連性があると考えている。

参考にしたサイト、出典(
https://seishonyumon.com/movie/2916/
)