キリスト教の「最後の審判」で有罪になった人は?ダイアモンドオンライン 分析レポート
このサイトのデザインの良いところ
このサイトのページ最初の画像は、
土の上に立った十字架が、光にてらされており、
まるで復活を待ち望んでいるようだ。
十字架の立つ土の中で眠っている故人が、最後の審判によって、復活するかもしれないというストーリーを感じさせる。
そして光の正体は、神様がこちら(十字架の方、故人の方)を見ていると思われる。
また、鳩は聖霊であり、故人を天に連れて行く。
この画像のデザインは、この「最後の審判」のお題にぴったりだと思った。

このサイトを読んで感じたこと
最後の審判の物語は、ミケランジェロの壁画が有名だ。クリスチャンでない人でも、多くの人々が知っているストーリーだろう。
このサイトの本文では「神は、世界を造った。そして時が来れば、世界を壊す。これを、終末という。」と述べているが、
なぜわざわざ創造した世界を、将来壊すのだろうか、というのを考えると、
神様が与えた試練の意味が理解できると私は思った。
ハーベストタイムサイトの記事(神様はどうして、悪魔を放置しているの?2013/11/21)では「私たちの信仰は、悪魔などの誘惑を乗り越えることによって成長します。試みなくして信仰の完成はあり得ません」と述べている。
私はこのことから、最後の審判は、
自由意志による信仰心が本物である者をふるいにかけて残すために、行われると推測する。
要は、最後の審判の前の段階である、今現在の時期というのは、
人々が、悪魔に誘惑されても、信仰を持つことの真価に気づけるかどうかを、神様は試しておられるということだ。
だから、悪魔を処罰せずに、この世界に野放しにしていると考えられる。人々は生きていれば必ず悪魔の誘惑の場面に遭遇する。そこで、誘惑に負けない人間を神様は選びたいのだ。
そしていつか、
ハルマゲドンによりこの世が壊され、本当に神と和解できる者だけを救い、この世は刷新されるというのが、
最後の審判が計画される理由だと私は考えた。
このサイトの筆者は「いつ終末が来てもいいように、準備をしておくことが大事だ。」と述べているが、
これは、クリスチャンでない人に対しては、「いつ死んでもいいように、後悔のない人生を送ろう」というのを示していると思われる。
そして、このタイトルである「キリスト教の「最後の審判」で有罪になった人は?」については、
本文で「永遠の炎に焼かれる」と書かれているが、
これについて、マタイによる福音書25章に書かれている、「永遠の火」のことだと私は解釈した。
どんな判断基準かは、教派により異なる。正直わからないという教会もある。
クリスチャンの多くは、特に一世信者は、悔い改めをしている人がほとんどなので、これから徳を積めば、救われる可能性はあると私は推測する。
私的には、有罪になる人はどんな人かというと、
神様が与えた試練に背を向け、かつ悔い改めもしない人
だと思っている。

参考にしたサイト、出典
(
https://seishonyumon.com/movie/1697/
)