美少年で気配り上手な信長の秘蔵っ子、森蘭丸 DiscoverJapan 分析レポート
このサイトについて
この会社は、ガイドブック制作や地域のお店やブランド、イベントのプロモーションをしている。
このサイトのキャッチコピーは「時代の流れをつかみながら、広く、深く、わかりやすく。」である。
伝統あるものづくりやデザイン、 豊かな気候と風土から生みだされる食文化やライフスタイルなどへの理解を深めるために、日本史を学ぼうという趣旨だ。

このサイトの良いところ
メニューバーに「北海道」「東北」「関東」、、、「沖縄」とボタンが配置されており、全国の伝統を紹介している点が珍しいと感じた。こういった伝統や観光サイトだと、特定の地域しか紹介していないことが多いからだ。
このサイトの改善点
このサイトの大きな目的の一つは、伝統や歴史を知ることで、ものづくりやデザイン、イベントやお店の運営に活かそうということかなと私は思うのだが、
この森蘭丸のページは、内容が表面的で浅く、文字量も私のこの分析レポートよりも少ないし、
これだと、読者がものづくりや何かの運営に活かせるほどの教養は得られないのではないかと思う。
私はこのサイトの他の全ての記事を読んだ訳ではないのでわからないが、少なくともこの森蘭丸のページは、コンテンツとしては不十分だと感じた。
このサイトを読んで感じたこと。
この筆者の森蘭丸の説明の仕方で、「わずか数年で取次役にまで出世した。」の部分や、
年表で「1565年 美濃国に生まれる
1577年 織田信長に小姓として召し抱えられる。以後、側近として活躍」の部分が、
まるで森蘭丸がとても優秀ですぐに出世したかのような書き方がされているので、これが読者に誤解を与えるというか、説明不足なところがあるなと私は感じた。

書いてあることは何も間違ってはないのだけれど、説明を端折りすぎている。
私は、森蘭丸がわずか齢12で信長の小姓になった理由は、森蘭丸は土豪出身で、名門の武士の家柄であり、森蘭丸の父可成は信長の有能な側近家臣であったことが大きく影響していると考えている。この説明は絶対に解説文に入れるべきだった。
それと、このサイトの家系図で、森蘭丸は次男であり、森蘭丸に兄と弟がいたことが読み取れるのだが、
兄は、武術に長けていたので信長軍の最前線で戦っており、弟は、秀吉と家康にも仕えていた。
それに対し、蘭丸は、武術よりも文学や教養、品性知性に長けていたので、信長の補佐役として、側近に選ばれたのではないかと私は推測する。
この筆者は文中で「美少年で顔が信長の好みだった」と書かれているが、これに関しては私はその可能性もなくはないかなと思う。これに関しては信長本人に聞かないとわからないことなのだが、
信長は美意識が高く、煌びやかで奇抜な服装を好んだり、ポルトガルの美術を好んだりしていたため、
もしかしたら美しい少年だというのもあって補佐役に選んだ要因もあるかもしれない。
現代で言う、社長が美人秘書を近くに置くみたいな?