このサイトについて
このサイトは「読みたい!がみつかる」というキャッチフレーズを掲げている。さまざまな本を紹介するサイトである。
このページでは、戦国キリシタン大名三傑を紹介解説し、ページ最後の方で、その関連書籍を紹介している。
このサイトのデザインの良いところ
大友宗麟のイラストは、おそらく自作だと思われる。線のタッチやベタ塗りが、イラストレーターソフトで描いたように思える。大友宗麟の肖像画を真似て描いたのだとすぐにわかったので、似顔絵として素晴らしい。
それなら、他の小西行長と高山右近も、自作イラストにすればよかったのにと思う。
「神の愛」を信じた武将たち。 tree イケてるキノコ|Webサイト100選
各章の解説文の下には、戦国メモが設置されている。まるでメモの紙切れをノートにテープて貼り付けたような、しかも少し斜めの角度で設置している点は、工夫されていると思う。メモに書かれたテキストも、同じ角度で斜めになっているので、こだわりのあるデザインだと感じた。
「神の愛」を信じた武将たち。 tree イケてるキノコ|Webサイト100選
このサイトを読んで感じたこと
私はこのサイトを読んで、大友宗麟は本当はクリスチャンではなかった可能性が高いと思った。
この時代は、自分たちの利益のためや、仏教や寺と対抗するために、あえてキリスト教に寛容に接したり、キリシタン大名として活動したりすることがあったと思われるので、
大友宗麟は、本当は信仰心はなかったと思う。大友宗麟にとって、キリスト教は、政治ツールだったと思われる。
この筆者は文中で、「反面、家臣を殺してその妻を奪った、という逸話も伝えられており、好色だったとされている。」と述べているが、この考察は少し短絡的だと私は感じた。
まずこのことは、史実性が低い。「家臣を殺してその妻を奪った」という小説やドラマは、多いらしいが。
それと、「好色だったとされている」という主張に関しては、キリスト教では姦淫罪になるのだが、当時の戦国時代の婚姻観は、側室をたくさん持つことは常識であったため、現代人からは「好色」に見えることでも、当時では常識であった。
しかし、大友宗麟に好色や不倫男という悪のイメージが他の大名と比べて強くなってしまった理由は、おそらく、クリスチャン大名なのに、生き方がクリスチャンらしくないから、そのような悪いイメージが強くなったのかと私は推測する。
この筆者は、小西行長と高山右近は豊臣秀吉と信頼関係があったということがわかるエピソードを紹介している。
私は豊臣秀吉はバテレン追放令を行なった人物だったため、キリシタン大名に対して、元から否定的に見ていたのかと思っていた。
禁教政策後、豊臣秀吉と小西行長の関係性は保たれたのに、なぜ、豊臣秀吉と高山右近の関係性は悪化したのか。その点の説明が欲しかったと思う。
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