No.029 衆道とは?武士のBLは何故、大流行したの?  website

衆道とは?武士のBLは何故、大流行したの? ほのぼの日本史 分析レポート

 

 

※今回紹介するサイトは、セクシュアルな言葉の表現が含まれているので、私の分析レポートでは、所々、伏字で引用しています。

 

 

このサイトについて

このサイトは歴史を専門としたwebマーケティング、広告制作会社が運営するサイトである。

このサイトの目的は魅力的なコンテンツを作ることで、集客することだ。また広告を表示することだ。

 

 

このサイトのデザインの良いところ

まず、絵が可愛い。描かれている歴史キャラクターはデフォルメされ、2、3頭身だ。画風が統一されているので、サイトの雰囲気がまとまりがあって印象に残りやすい。

ページ右側に設置されている、「ほのぼの日本史特集」では、人気テーマをピックアップし表示しているため、つい次々とクリックして読みたくなるデザインだ。

 

衆道とは?何故、大流行したの? イケてるキノコ|Webサイト100選
衆道とは?何故、大流行したの? イケてるキノコ|Webサイト100選

 

 

このサイトを読んで感じたこと

日本中世時代の衆道、男色文化については、さまざまな見解が語られてきた。謎が多い文化である。

歴史研究家、歴史専門家の中でも、意見は異なるものが多いと私は感じる。

衆道については、どの考察が正解かを決めるのは困難だ。なぜなら、「衆道文化が存在した」という表面的な事実はわかっていても、それに関わった武士や男たちが、どんな思いで行なっていたかを記録した史料は見つかっていないからだ。少し考えたらわかることだと思うが、人は誰でも、「誰と関係を持った」とか「関係を持ってどう思った」とかの記録は、残さない。

だからこそ、衆道についての議論が繰り広げられてきた。

この筆者は冒頭の説明で、「男色相手だけが恋愛対象であったわけではありません。」と述べられているが、

私はこの筆者は、恋愛感情・肉欲と、宗教的儀式・主従関係を混同していると感じた。衆道を語る上で、「恋愛感情」というワードは、そもそも相応しくないと思う・

また、この筆者は文中で、「女がいない戦場で衆道は始まる」「xxxの相手として美貌の小姓を戦場に引き連れてx欲の対象とするようになった」と述べているが、

私はこの考察は、やや短絡的かなと思った。私個人的には、衆道は主従関係や信頼関係構築のために行われたのであって、本能的な欲求で行われてはいないと考えているからだ。

本能的な欲求(xxxの相手)ではなかったと思う理由は、戦場には御陣女郎(軍事を務めながら、慰安婦の役割も担う女性)がいた可能性が高いからだ。

「江戸時代対等関係の衆道始まる」の章では、衆道は武士などの上層階級だけでなく、庶民にも広がったのは、女より男が多かったからだと述べられているが、

風雅的な男色文化についての解説も入れて欲しかったと思う。例えば、歌舞伎の女形や、若衆茶屋など。江戸時代の男色は、享楽の面もあったことは私も認めるが、男娼の観客を楽しませるパフォーマンスは、雅やかな文化・教養であったという見方もあるので、その点は説明が必要だったと思う。

この筆者は要は、衆道や少年愛を、本能的な欲求をぶつけたものだという主張を繰り返されているが、もしかしたら実際はそうだった可能性もあるのだが、

私個人的には、一面的な考察だなと感じた。正解は無いんだけれども、もう少し時代背景等と照らし合わせて、深ぼって見た方が、歴史の理解が深まるかと思った。

あと、このサイトは所々、茶化した言葉使いが見られるので、歴史を学ぶサイトというコンセプトなら、その点は改善すべきだ。

 

衆道とは?何故、大流行したの? イケてるキノコ|Webサイト100選
衆道とは?何故、大流行したの? イケてるキノコ|Webサイト100選

 

イケてるキノコ|Webサイト100選

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です