核共有の幻想と実態 核情報 分析レポート
このサイトのデザインの良いところ
左上のロゴマークは、波紋のような、円が何重にも重なっているようなデザインである、その中心部には、ボールのようなものが描かれている。
このサイト名は「核情報」なので、情報発信をイメージさせるようなロゴデザインとなっている。
また、見出しにも、丸いボールを使うことで、統一感がある。

このサイトを読んで感じたこと
このサイトは説明が長いので、一旦私の解釈で整理したいと思った。
まず初めの、「冷戦初期の発想の遺物」の文章を読んで、
これは、時代背景として、ソ連戦車を止めるために、米国がヨーロッパ大地に核の鉄壁を作っていたのだが、
これ以上核を持つ国が増えたら危険だ!という発想が出てきて、ソ連と米国は利害関係が一致したので、NPTが誕生したということだと私は解釈した。表では1970年をピークに、核兵器の数は減っているのだが、NPTは、これ以上核保有国を増やさないための政策であり、核兵器の数そのものを減らす目的ではないはずなので、
そこの整理がこのサイトでもされていた方がわかりやすかったなと思った。このサイトの説明の仕方だと、まるでNPTが核削減のきっかけのように誤解されかねない。
次の章の「NPTとNATOの核共有は違反か?」について、
NPTは核保有国から非核国へ移譲が禁止だと、第1第2条に明文化しているのに、
NATO核共有は、それに反していないか?という問題提起だと私は解釈した。
それについての米国の言い分は「核は米国の管理下にあるし、核戦争が始まったら、NPTはご破算だから、矛盾ではない!」と主張、これは、抜け穴を米国が正当化しているのでは?という問題提起だという私の解釈である。
3個目の章の「NPT加盟国はNATOの解釈を知っていたか?」について、
要は、署名国全体も、よく分かってなかったし、日本政府も知らないと答えたので、
加盟国は、よくわからない条約に署名していたのか?それは自国に対して無責任ではないか?という問題提起であると私は解釈した。
4個目の章「NPTの効力がなくなる戦争開始とは?」について、
2個目の章でも少し触れているが、
戦争開始=NPT無効化とのことだが、有事の核使用や移譲はOKということだと思われるが、その判断は、アメリカが独断で決めるのか?という問題提起であると私は解釈した。
5個目の章「NATO内での反対」では、
ドイツを中心に核撤去の姿勢になってきているということを述べられている。
6個目の章「初めてではない核共有の主張」について、
稲田氏、安倍元首相、石破氏は、核共有の主張を過去にしていたが、
NATOの核共有の実態について本当にわかって言っているのか?という問題提起であると私は解釈した。核共有をしたところで、最終決定権はアメリカが握っているのだから、本当に意味があるのか?ということだろう。政治的スローガンとして、核共有というワードを使っているだけではないだろうか?という疑問を言いたいのだと思われる。
7個目の章「NPT精神に反する提案」について、
2個目の章でも軽く触れたが、
日本はNPT加盟国なのに、核共有したら、国際的に非難されてしまうのでは?という問題提起だと思われる。
8個目の章「継続して注意が必要」について、
核共有について、もっと正確な知識を持って政治家は議論していくべきだということをこのサイトの筆者はまとめとして主張していると思われる。
私のまとめとしては、
日本で語られる核共有論は、サイトのタイトルが主張している通り、「幻想」であり、現実性も国際的正当性もないのではないか、という結論である。
※今回の考察は、この元サイトの筆者の立場や思想に沿った場合の私なりの解釈であり、他の立場からは異なる結論も導かれうる。
