米国の核政策と「核の傘」の下の日本 日本反核法律家協会 分析レポート
このサイトのデザインの良いところ
このサイトのバックグラウンド画像は、海の画像である。
「日本反核法律家協会は、「人類と核は共存できない」との立場」という点を踏まえると、非常にマッチしていると思う。
その理由は、海というのは、国境を超えていくという印象が強いからだ。
核廃絶を、国際組織にも伝えていきたい。それを広げていきたい。という視覚的メタファーであるのが「海」であると私は感じた。

このサイトを読んで感じたこと
このサイトの筆者は「核抑止論とは、「我が国に軍事攻撃を仕掛ければ、核兵器によって反撃され、貴国は甚大な被害を受けるぞ。我が国に攻撃を仕掛けるなどというバカなまねはやめた方がいいぞ」という威嚇を行うことによって、相手国の攻撃を抑止するという理論である」と述べているが、
私は、この言葉は、誰が発した言葉なのかを示すのが良いと考えた。
私は、これはアメリカとソ連が使い始めた言葉だと思っている。
SSDP安全保障研究会の村野氏は、「1946年、軍事戦略家のバーナード・ブロディは、ー〜初めて「核抑止」の概念を提唱した」と述べており、
私も、核抑止論の起源は、第二次世界大戦後の冷戦初期に、アメリカの軍事研究家などが、使い出した言葉だと思っている。
そして、そのタイミングに、ソ連も核武装し始めたので、この時に、相互確証破壊という言葉も使われ始めたと、私は推測する。
なぜなら、このアメリカとソ連の構造は、「核をお互いに武装した状態で戦争したら、お互いに滅ぶ」という共通認識を持つしかなくなるからだ。
なので、核抑止論という言葉は、このタイミングに、必然的に形成された言葉だと私は推測する。
そして、ソ連が崩壊してからは、アメリカが一極覇権のような国際的イメージになってしまったことが原因で、おそらく核抑止論が、アメリカのプロパガンダのような言葉として、現代の日本人は感じるかもしれない。
あと私が気になった点は、
このサイトのタイトル名に「核の傘の下の日本」と書いてあるのに、
文中や、文の締め部分では「核兵器のない世界を実現」と述べているのが、一見矛盾していると私は感じた。
「核の傘の下の日本」というフレーズは、一般的には、日本がアメリカの核抑止力に依存している状態を表す言葉だと思う。
しかしこの違和感の正体は、日本が核の傘下で依存しているからこそ、このような理想主義を唱えることができるのかもしれない。

参考にしたサイト(
http://ssdpaki.la.coocan.jp/proposals/133.html
)